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- 平野綾 ヴィヨンの妻 歌詞
- 平野綾
- その日も私は、うわべは、やはり同じ様に、坊やを背負って、お店の勤めに出かけました。
那天我也依舊如往常一樣,背著兒子去店裡上班了。 中野のお店の土間で、夫が、酒のはいったコップをテーブルの上に置いて、ひとりで新聞を読んでいました。 中野的店裡,丈夫正一個人讀著報紙,桌上放著一杯酒。 コップに午前の陽の光が當って、きれいだと思いました。 清晨的陽光照射在玻璃杯上,很是好看。 「誰もいないの?」 “沒有人在嗎?”我問。 夫は、私のほうを振り向いて見て、 丈夫回過頭來看我, 「うん。おやじはまだ仕入れから帰らないし、ばあさんは、 說道:“嗯。老闆去採買還沒回來, ちょっといままでお勝手のほうにいたようだったけど、いませんか? 」 老闆娘剛剛好像還在廚房,現在不在嗎? ” 「ゆうべは、おいでにならなかったの?」 我又問:“昨晚您沒來這兒嗎?” 「來ました。椿屋のさっちゃんの顔を見ないとこのごろ眠れなくなってね、 “來了。最近看不到椿屋的阿早的話,我都睡不著了。 十時すぎにここを覗いてみたら、いましがた帰りましたというのでね」 十點剛過的時候來這裡瞧了一下,剛說要回去了呢……” 「それで?」 “然後呢?” 「泊っちゃいましたよ、ここへ。雨はざんざ降っているし」 “就在這住了一晚,雨下得太大了。” 「あたしも、こんどから、このお店にずっと泊めてもらう事にしようかしら」 “要不干脆我往後也住在這家店裡吧。” 「いいでしょう、それも」 “那也行啊。” 「そうするわ。あの家をいつまでも借りてるのは、意味ないもの」 “那就這麼辦吧。一直借住在那個家裡也毫無意義。” 夫は、黙ってまた新聞に眼をそそぎ、 丈夫又一聲不吭地看著報紙, 「やあ、また僕の悪口を書いている。 “哎呀,又在說我的壞話。 エピキュリアンのにせ貴族だってさ。こいつは、當っていない。 說我是享樂主義的偽貴族,這傢伙胡說八道。 神におびえるエピキュリアン、とでも言ったらよいのに。 說我是畏懼神明的享樂主義者的話還差不多。 さっちゃん、ごらん、ここに僕のことを、人非人なんて書いていますよ。 阿早,你看看,這裡寫著我沒有人性什麼的, 違うよねえ。僕は今だから言うけれども、去年の暮にね、 一派胡言!我現在跟你說吧,去年年底啊, ここから五千円持って出たのは、さっちゃんと坊やに、 之所以在這裡拿走五千塊,是為了讓阿早你和兒子, あのお金で久し振りのいいお正月をさせたかったからです。 用那些錢過一個久違的好年。 人非人でないから、あんな事も仕出かすのです」 我沒人性的話,怎麼會做那樣的事。 ” 私は格別うれしくもなく、 我並沒有多高興, 「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」 “沒人性不也挺好的嘛。我們,只要能活著就好了呀。” と言いました。 我說道。
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